Irina Fetmanアイリーン・フェットマン
フレッシュアフタヌーン

About Artist作家について

略歴


1962年ウクライナのキエフに生まれる。
1973年11歳で旧ソビエトの5年間の絵画専攻エリートコースに選抜される。
1979年フェットマン一家はウクライナからアメリカに移住。
1980年クリーブランド美術大学に5年間の奨学金を得て入学。
1984年この頃からクリーブランド地区を中心に作品発表活動。
1985年クリーブランド美術大学を卒業し、カルフォルニアに移住。
2000年7月に、三越銀座店にて日本での初個展を開催、
9月には三越仙台店で個展開。いずれも好評を得た。
2001年東武百貨店、三越仙台店
2002年東武百貨店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2003年伊勢丹新宿本店、東武百貨店、三越仙台店
2004年伊勢丹新宿本店、三越仙台店、阪急うめだ本店
2005年三越松山店、伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、三越仙台店
2006年大丸神戸店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店 
2007年三越日本橋本店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2008年阪急うめだ本店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2009年伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、三越仙台店
2010年伊勢丹新宿本店、東武池袋店、三越仙台店
2011年伊勢丹新宿本店、三越仙台店、うめだ阪急本店
2012年伊勢丹新宿本店、うめだ阪急本店、仙台三越
2013年伊勢丹新宿本店、仙台三越
2014年伊勢丹新宿本店、うめだ阪急本店、仙台三越
2015年伊勢丹新宿本店、仙台三越、高松三越
2016年伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、仙台三越
2017年伊勢丹新宿本店、高松三越、仙台三越
2018年伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、仙台三越


光の画家「アイリーン・フェットマンについて」
~今 ここで、あなたも私も生きている~


― 軽快な透明感と洗練された色彩。思う存分、光を表現して存在の歓びを謳う。
それは私の時間、そこは私の居る所。―


ドリーミーサマー

透き通るような絵画の世界。風を感じる透明感と、洗練された色彩で描かれたやさしさあふれる作品の数々。画面に広がるさわやかな風や柔らかい光は、観る者を心地よい空間へと誘ってくれます。アイリーン・フェットマンの作品を前にすると、描かれている世界にやさしく包まれるように感じ、絵と一体になれる不思議さがあります。風を感じ、光を感じ、気がつくと描かれた世界に招かれるように入り込んでいるのです。世界を美しく描くだけでなく、見過ごしてしまいそうな日常のひと時の美しさを描き出し、私たちを心から共感させてくれる作品の数々。それらは「この世に生きている幸せ」を感じさせてくれるようです。少女期の英才教育で身につけた絵画技術を駆使して表現される作品は、私たちに日々の暮らしの深い味わいと、素敵な空間を約束してくれることでしょう。
Life is beautiful!「生きている幸せ」 これがアイリーン・フェットマンの哲学なのです。

□アイリーン・フェットマンは

アイリー・フェットマンとは

ウクライナ生まれの女流画家です。旧ソ連時代に優れた才能ある子供を対象とした絵画の特別教育を受け、16歳でアメリカに移住。身に付けた西欧絵画の伝統的技術を基に、現
在は明るいカリフォルニアの自由な空の下で描いています。彼女の優しくて生き生きとした作品は私たちに新鮮な絵画を観る楽しみを体験させてくれます。
その作品はヨーロッパの伝統的テイストを保持しつつ、カリフォルニアの明るさと開放感を程よい調和で表現しています。また確かな絵画技術で、持ち前の知的な優しさがあふれる洗練された魅力ある作品を創造しています。

フェットマンの多くの絵は一見すると晴れやかです。しかし、実際に人生の辛苦を体験してきて辿り着いた、地に足の着いた幸福感と、永遠性の高みに達するかのような静謐性を併せ持っています。その意味でアイリーン・フェットマンの作品は、私たちが求めている<安らぎの場所と居心地の良い時間>に誘ってくれる貴重なヴィジョンだと言えましょう。
また、フェットマンは「光と影」の対比や、「音」、「そよ風」などの目に見えないものまで見事に描き出し、上品で洗練された世界のイメージを絵筆で紡ぎ出します。作品の中で本物の光がさしているような、絵の中からさわやかな空気が伝わってくるような、思わずそう感じられるほどの臨場感に溢れています。

「人生にはつらいことや悲しいことがたくさんありますが、光や風を感じ、木々や花を見、愛する人たちと時間を共にするとき、私は生きていることは素晴らしいと思わざるをえないのです。”Life is beautiful!” “生きていることは素晴らしい。”」と彼女は語ります。絵画がこれほどのまぎれもない肯定的な感覚を与えてくれるという驚きは、とても貴重なことだと言えるでしょう。

□こころの底からの、共感

描かれているのは、「青い海」、「白い雲」、「木々の緑」、「寄せる波」、「頬をなでるそよ風」、「ゆれる木もれ陽」、「朝の香り」、「雨上がりのガラス窓」、「赤く染まる夕陽」そして「子供のあどけなさ」や「移りゆく季節」です。

偽りの無い、やさしさが伝わってくる筆使いで、信じられないほどの透明感を感じさせてくれます。心やすらぐ調和の取れた色彩で、絶妙な光を描き出す彼女の作品は見る者をやさしく包み込んで、描かれているその場にいるような感覚を与えます。
私たちは美しいものに囲まれてこの世に生きているという見方を教えてくれるようで、そんな作家の世界観に共感できる魅力ある作品です。

彼女の表現と技術はどんな時代にも通用するレベルの高さを有していますが、その特徴は
□ 光を生き生きと描けること。(レンブラントやフェルメールの作品などを見ても分かるように、西洋の伝統的絵画では、光の要素はとても重要視されています。〕
□ 空気や温度、音など、眼に見えないものまで描く力量を身に付けている。
□ 透明感のある色彩を作り出し、描かれるものの実在感を高めることが出来る。
□ あえて大胆な筆使いを用いて、描かれているものの存在感を高める工夫をしている。
絵画作品には作家の人格がにじみ出るものですが、アイリーン・フェットマンは「やさしさ」という情と知的な部分のバランスが取れている魅力的な人柄です。作品にもそのような特徴が良く出ていて、抵抗感無く楽しむことが出来るのです。

あえて印象派風の筆使いで写実的な表現をするアイリーン・フェットマンは単に風景を描いているのではなく、風景に感じられる世界の諸相を愛情込めて生き生きと描き出していると言えるのではないでしょうか。
そして彼女は、今の時代を共に生きて同時代の感覚を表現している作家、でもあります。確かに現代にはこの時代特有の空気や、社会的な問題でおおわれていることは事実です。しかし一方、見慣れたような日常の風景や暮らしを描きつつも、それらの本当の価値を自分のスタイルで具象的に描き出し、私たちの心の奥の深いところで共感を呼び起こすその作風は、いわゆる現代アートの形をとってはいませんが、それでもわたしたちと同時代に生まれた優れた作品であると言えるでしょう。

2019年10月
アルテギャラリー
田村彰男







 

アイリーン・フェットマンさんへのインタビュー


アイリーン・フェットマン

アイリーン・フェットマンQ: 「なぜ絵を描くようになったのですか」

子供の頃から絵を描くことに情熱を持っていました。9歳の頃には何の疑問も無く画家になりたいと思っていました。1973年に当時旧ソヴィエトに四校あった権威ある正統的美術学校の一つであるシェヴチェンコ・アートアカデミーに入学することが出来ました。ここは5年制の学校で、何千もの願書から選抜された500人だけが受験を許され、実技の試験を受けます。そして100名の入学が許されるのです。

ソヴィエトの美術学校では美術の基礎的な技術を確実に教えてくれました。しかしそれは同時に国家が要求する描き方であるリアリズムに奉仕するようにとの圧力でもありました。表現者の個性は抑圧され、色彩や表現方法の工夫は蔑ろにされました。

その後イタリアへの亡命を経て、アメリカに渡り1980年にクリーブランド美術大学への入学許可を得ました。しかし、ソヴィエト時代の影響から逃れ、アートは何かに奉仕するためにあるのではないことが分かるまでに数年かかりました。一本の線や色彩がそれだけで新しい空間や表現を創造することができることを学びました。そして、美術には制限が無いことも知りました。クリーブランド美術大学での5年間の間に私の才能と作品は認められ、奨学金と数々の賞が与えられました。

マリブの美しい山Q: 「卒業後はどうされましたか」

1987年に私はロサンゼルス移りました。ここで主人に出会い、1991年には息子が生まれました。カリフォルニアは素晴らしいところです。自然、太陽の光、広大な山々、そして広い海は私が子供の頃過ごした黒海での夏休みを思い出させます。そこは、亡命中に過ごしたイタリアも思い出させてくれます。どこまでも続く杉並木の道や丘、崖に建って海の中に飛び込むかのように目に映る家、テラスのオリーヴがたわわに実る赤い屋根の家などです。私の作品にはこのような思い出や心象風景が表現されています。

現在、私は家族と共にロサンゼルスの北に位置するマリブの美しい山の上に住み、自宅のスタジオで制作し、周囲のとても美しく魅力的な自然からいろんなことを学んでいます。

アイリーン・フェットマンQ: 「アイリーンさんの作品の特徴を教えてください。」

私の作品では特に、光や色彩、さらに「画面の感触」が重要です。どのように筆をキャンバスに触れさせるのか、どの方向に筆を動かすのか、どの程度の早さで、どれぐらいの筆圧をかければよいのかを考えます。そしてどのような色彩で表現すべきか……などの工夫が作品に光と風の動きを与えるのです。これらの様々な工夫が作品に命を吹き込みます。まるで絵の中にそよ風が吹いているかのように、描かれている風景が何時ごろなのかの判断もでき、さらに目で見ていながら音までが聞こえるかのように、いろんな自然の印象を感受できる画面を作ってくれるのです。




 

フレッシュアフタヌーン

Grand délice que celui de noyer son regard dans l'immensité du ciel et de la mer! Solitude, silence, incomparable chasteté de l'azur! une petite voile frissonnante à l'horizon, et qui par sa petitesse et son isolement imite mon irrémédiable existence, mélodie monotone de la houle, toutes ces choses pensent par moi, ou je pense par elles (car dans la grandeur de la rêverie, le moi se perd vite!); elles pensent, dis-je, mais musicalement et pittoresquement, sans arguties, sans syllogismes, sans déductions.

ボードレール散文詩 「パリの憂鬱」より


「空と海の広大無辺の中に眼差しをひたすことは何と大きな楽しみであろう。
孤独、寂寥、蒼空の類なき純潔!
水平線にうちふるえては、その小ささと孤立とによって、如何ともしがたい私の存在を真似ている小さな片帆。
浪のうねりの単調なメロディー、
すべてこれらは私を通して思索している。
或いは私がそれらを通して思索している。(広漠たる夢見心地の中では、自我は忽ちに消え失せるのだから!)
まさしくそれは思索している。
しかし音楽的に、絵画的にであって、決して詭弁や三段論法や演繹法などは使わずに。」

(丸山圭三郎 訳)