アイリーン・フェットマン 


 

Grand délice que celui de noyer son regard dans l'immensité du ciel et de la mer! Solitude, silence, incomparable chasteté de l'azur! une petite voile frissonnante à l'horizon, et qui par sa petitesse et son isolement imite mon irrémédiable existence, mélodie monotone de la houle, toutes ces choses pensent par moi, ou je pense par elles (car dans la grandeur de la rêverie, le moi se perd vite!); elles pensent, dis-je, mais musicalement et pittoresquement, sans arguties, sans syllogismes, sans déductions.

 

ボードレール散文詩 「パリの憂鬱」より

 

「空と海の広大無辺の中に眼差しをひたすことは何と大きな楽しみであろう。

 孤独、寂寥、蒼空の類なき純潔!

 水平線にうちふるえては、その小ささと孤立とによって、如何ともしがたい私の存在を真似ている小さな片帆。

 浪のうねりの単調なメロディー、

 すべてこれらは私を通して思索している。

 或いは私がそれらを通して思索している。(広漠たる夢見心地の中では、自我は忽ちに消え失せるのだから!)

 まさしくそれは思索している。

 しかし音楽的に、絵画的にであって、決して詭弁や三段論法や演繹法などは使わずに。」

 

(丸山圭三郎 訳)


世界を美しく、


 

 

 

軽快な透明感と洗練された色彩。

思う存分光を表現して、

存在の歓びを謳う。

それは私の時間、

そこは私の居る所。

 

 

 

      1962年 ウクライナのキエフに生まれる。

      1973年 11歳で旧ソビエトの5年間の絵画専攻エリートコースに選抜される。          

  1979年 フェットマン一家はウクライナからアメリカに移住。    

  1980年 クリーブランド美術大学に5年間の奨学金を得て入学。              

  1984年 この頃からクリーブランド地区を中心に作品発表活動。     

  1985年 クリーブランド美術大学を卒業し、カルフォルニアに移住。        

  2000年 7月に、三越銀座店にて日本での初個展を開催、

        9月には三越仙台店で個展開。いずれも好評を得た。     

  2001年 東武百貨店、三越仙台店     

  2002年 東武百貨店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店     

  2003年 伊勢丹新宿本店、東武百貨店、三越仙台店     

  2004年 伊勢丹新宿本店、三越仙台店、阪急うめだ本店     

  2005年 三越松山店、伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、三越仙台店     

  2006年 大丸神戸店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店       

  2007年 三越日本橋本店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店

    2008年 阪急うめだ本店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店

    2009年 伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、三越仙台店

     2010年 伊勢丹新宿本店、東武池袋店、三越仙台店

      2011年 伊勢丹新宿本店、三越仙台店、うめだ阪急本店

   2012年 伊勢丹新宿本店、うめだ阪急本店、仙台三越

  2013年 伊勢丹新宿本店、仙台三越

  2014年 伊勢丹新宿本店、うめだ阪急本店、仙台三越

  2015年 伊勢丹新宿本店、仙台三越、高松三越

  2016年 伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、仙台三越

  2017年 伊勢丹新宿本店、高松三越、仙台三越

 


透明感と洗練された色彩、知的なやさしさがあふれる作品の数々。画面から広がるさわやかな風や柔らかな光は、魔法の筆で描かれたように観る者を心地よい空間へと誘ってくれます。アイリーン・フェットマンの作品には、私たちをやさしく包み込んでくれる不思議な感覚があります。風を感じ、光を感じ、気がつくと描かれた世界に招かれるように入り込んでいるのです。世界を美しく描くだけではなく、見過ごしてしまいそうな日常のひと時の美しさを描き出し、私たちを心から共感させてくれる作品の数々。これらは少女期の英才教育で身につけた絵画技術だけによるものでなく、彼女の真心の表現なのです。